酒々井町にある旧石器時代の墨古沢南T遺跡から石器が発見されており少なくとも、今から約3万年以前から人が住んでいました。
その後の縄文時代の縄文土器片は町の台地から多く見られます弥生時代の遺跡や古墳も発見されています。
その後の奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代に至るまで、この酒々井町は古くから人が暮らしていた住み易い場所であり、古代には、古東海道が貫通し、中近世には、成田道(佐倉道)、小見川路、香取路、銚子路などの要衝の地として、人の往来の盛んな地域でした。
この長い歴史のなかで、中世戦国時代には下総の国を統治した千葉氏が本佐倉城を築城し、約100年にわたり、 この地域が政治・経済の中心地として栄えました。
江戸時代には江戸幕府直轄の牧場(まきば)を管理する役所のある町、成田街道の宿場町として賑わい、明治22年の町村制施行の際、近隣16か町村が合併し、酒々井町が誕生しました。
近代以降は着実な歩みを続け、昭和50年代には成田空港開港。またJR酒々井駅周辺の大規模な開発に伴い人口が大幅に増加しました。町の中心が、成田街道周辺から
JR酒々井駅周辺に移り、都市機能を備えたベッドタウンとして更に発展し続けています。
現在の市中心部は、京成酒々井駅周辺から国道51号線を超えてJR酒々井駅周辺となっています。
このエリアには、スーパーマーケットが3店舗(タイヨー、ナリタヤ、センドウ)を中心に物販店・飲食店等が
あります。
成田空港勤務者のベットタウンであり,他地域からの転居された方が多いエリアです。
そういった方への街案内サイトとして、作成したのがこのサイトの趣旨です。
下記のエリアを紹介したと考えています。
『京成酒々井駅周辺』 順天堂大学のキャンパス最寄り駅のため、学生が多く見受けられます。
近隣の賃貸住宅にも学生が多く居住しています。それゆえに、落ち着いた環境を好む方が
住むには適さない地域です。住所は、下岩橋、上岩橋、中川、酒々井がこのエリアになります
『国道51号線周辺』 幹線道路のため、自動車所有されている方には便利です。ラーメン店を中心に飲食店が
軒を連ねています。住所は、下岩橋、上岩橋、中央台、酒々井、大道がこのエリアになります
『JR酒々井駅西口周辺』銀行、スーパー、物販店、飲食店が、駅周辺に集積しており、インフラが集まっている エリアです。住所は、中央台1丁目、中央大3丁目がこのエリアです。
『JR酒々井駅東口周辺』駅周辺にコンビニ、物販店、飲食店が集まっており、便利である。また、駅から2、3分歩く と閑静な住宅街になる。公園や里山も徒歩圏にあり生活環境が良好である。
住所は、東酒々井1丁目がこのエリアになります。
『南酒々井駅周辺』 駅周辺に何もなく、住むにはとても不便。提供できる情報がないので掲載しません。